小売業の種類と分類とは?大衆のためになる品を売るには

小売業の種類と分類とは?大衆のためになる品を売るには

小売業とは、大衆の消費にはそぐわない大きさの品を切り分けて、消費しやすい大きさにして売る事業者のことを言います。

しかし、この程度の解釈で小売業を言い表す事はできず、本質に迫る事もできません。

 

こちらでは、海外や我が国の商業史を辿りながら、小売業の革新過程を理解して、現在の状況と近未来の理想像を解説します。

小売業の日本史 その分類とは?

我が国においては、商業が発達し小売業に繋がるのですが、日本の歴史において語られる小売業の原点は商人(あきんど)で、中でも三大商人に分類される近江商人、伊勢商人、大阪商人のなかでは大阪商人が堺や近江の商人が発祥である事を考えると、伊勢商人と近江商人が我が国の小売業のルーツがあると考えても良いと筆者は考えます。

特に近江商人は近江国(現在の滋賀県)に拠点を置き、天秤棒1本担いで全国各地に行商し、関西や関東の品を地方へ売りに行く「持ち下り」や反対に地方の産品を関西へ運び売る「登せ荷」を通じて各地の需要や地域による価格差などの情報を仕入れ、今で言うバーチカル・マーチャンダイジングを行っていました。

反物やお茶、薬などを番頭(現在の小売業で言えばバイヤーもしくはマーチャンダイザー)が生産地に出向き、原材料や加工方法を指定して生産指示し、品質を確かめて店舗に集めて販売すると言った、今のPB(private brand)に近い商品をプロデュースしていました。

また、この近江商人の経営哲学の一つとしては有名な「三方よし」即ち「売り手によし、買い手によし、世間によし」があり、CSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)やお客様第一主義の原型ともいえる考え方が既にあったのです。

この伊勢商人や近江商人から財を築いて豪商が生まれ、これら商人の一部が「本商人」となり、中でも伊勢商人の流れをくむ代表的な小売業が三越であり、近江商人のそれが高島屋なのです。三越(当時は越後屋三井呉服店)は当時の常識を逸する新商法を展開して大いに繁盛しました。

この新商法が1.大衆品主力。2.(先払い、加工機貸、輸入材料活用で)相場を破壊。3.低利幅高回転。4.掛売りなし、正札主義。5.小口単位販売。6.即日仕立て。7.返品自由。8.店内販売でした。

 

片や高島屋は掟として「四綱領」があります。

第一義 確実なる品を廉価にて販売し、自他の利益を図るべし。

第二義 正札掛値なし。

第三義 商品の良否は明らかに之を顧客に告げ、一点の虚偽あるべからず。

第四義 顧客の待遇を平等にし、貧富貴賎に拠りて差など附すべからず。

 

として今も店是として守られています。これらは今の小売業にも十分通じるモノであり、三越は1673年に、高島屋は1831年に実践していたことは世界に先駆けていました。

これらは後に20世紀初頭の百貨店開業や生協運動へ、そして終戦後のスーパーマーケットへ分類され、繋がっていきました。

小売業の世界史 その種類とは?

最初の近代的販売方式を実践した小売業として評価されているのは、1852年にアリスティド・ブーシコー(Aristide Boucicaut)がフランスはパリのサバーバン(新興住宅地)で創業した「ボン・マルシェ」(Bon Marche)であり、製品種類別のギルドが中心で価格カルテル体制を作り上げて小売価格を高止まりさせていた体制を、ギルドに属していないアウトサイダーの職人を集めて、来店客が直接生産者である職人と取引できる市場でした。

 

「ボン・マルシェ」では、“出入り自由”、“陳列販売”、“正札販売”、“返品自由”を掲げていて、低マージン・高回転率販売を行いました。

その後、ボン・マルシェは取扱商品種類を増加させ “総合的な商品の取り揃え”によって、総合大規模小売店つまり百貨店として近代的販売方式を基盤とする量販を行ったのです。

このボン・マルシェが欧州における小売業の模範になったのは言うまでもありません。

 

片や現代小売業で世界をリードしている米国を振り返ってみます。

米国は1776年の独立戦争により建国されるのですが、切っ掛けがボストン茶会事件であり、正に生活必需品の価格乱高下への民衆反撃であったと言われています。

この様に米国においては、確かな品質の生活必需品を低価格で大衆に供給する責務を、小売業が最先端で対応して発展してきました。先ずはシアーズ・ローバックやJ.C.ペニーが成熟しましたが、店舗は巨大であり通信販売も行って成長したのでした。

そして多店舗を展開してチェーン・ストアとして米国市場を圧倒したのがA&Pでした。1859年にギルマン(George Francis Gilmann:1826-1901年)によって設立され、当初はクローガーやセーフウェイ等の他の多くの米国小売業と同様に紅茶(Tea)の販売事業で成功しました。

 

当時の米国において、紅茶は高価格・高利益、低回転・少量小規模販売だったのですが、大量仕入れ・大量販売、価格切り下げを多店舗化によって実現し、1880年には世界で初めて100店舗を達成したのです。

その後は紆余曲折の後に、1912年に新業態「エコノミー・ストア」を開店してA&Pを巨大小売企業に成長させ、1930年にA&Pでも働いた事のあるマイケル・J・カレン(Michael J. Cullen)により創業された革新的新業態「スーパーマーケット」へと繋がるのです。

 

このエコノミー・ストアは、クレジット販売、配達サービス、プレミアム(購買時関連商品の試供品提供)、トレーディング・スタンプ(現在のポイント若しくはクーポン)を廃止して低経費構造を実現し、店舗の規格化と統一レイアウト、そして扱い品目を高回転商品のみへ絞り込んで標準化し、マニュアル化して店舗作業を熟練労働から単純労働に転換して、ローコスト・オペレーションを実現したのでした。

このローコスト・オペレーションの実現は低価格化をもたらし、単純労働への転換は新規出店に伴う労働力の制約を緩和したのでした。

特に低価格化は大衆に対する最も判り易いアピールになり、ピーク時15,000店舗でマーケット・シェア獲得の大きな原動力になりました。

 

しかしながら、これらの諸施策はA&Pの独創ではなく模倣にすぎないのですが、その後のスーパーマーケットへも受け継がれた成長小売業の絶対原則つまり大衆品と日常的に使う実用品を一層低価格で多くの地域に同じように提供することを実現したに過ぎないのです。

 

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小売業の現在の主な販売方式と業態

わが国と世界の小売業の歴史を振り返りましたが、その現時点の集大成が現在の販売形式と業態に帰結しています。

わが国の販売方式・販売形式としては、店頭販売(店舗販売)、通信販売(広告媒体とWeb)、訪問販売があり、業態としては、百貨店、日本型スーパーストア(GMS)、スーパーマーケット、ホームセンター、ドラッグストア、コンビニエンスストア、量販店(専門店、バラエティショップ=ディスカウントショップ)が有ります。

近未来の小売業とは? 大衆のためになる品を売る企業になるために

小売業を「大衆の消費にはそぐわない大きさの品を切り分けて、消費しやすい大きさにして売る事業者」との定義で言い表すことが出来ないとの冒頭の記述が正しいことをご理解頂けましたでしょうか。

マルカム・P・マクネアによって提唱された「小売の輪理論」はローコストによる低価格を実現した小売業者が、既存業者のシェアを収奪すると言っていますが、わが国でも米国等世界でも売手の都合による高コスト化は、建前として顧客のための結果であるとこじつけますが、決して大衆のためではない事が経験法則として証明されています。

しかしながら、単発的な安売りは大衆の理解を得る事は困難ですので、低コスト・低価格を今後も継続するためには、小売業が大衆に成り代わって、言い換えれば使う立場に立って商品生産をプロデュースし、メーカーの見込生産が故に発生する製品リスクを負担している多段階中間業者のマージンを排除するために確定発注をしなければなりません。

そしてその際には、メーカー毎には不可能なトータル・コーディネートつまり同時に使う品を楽しく便利に組み合わせて提供する生産のチーム・ワークを小売業が主導するのです。

作るべきものを知らないメーカーに成り代わり、変化する大衆のニーズを掴んで商品開発に繋げるのです。

顕在化もしくは潜在化している買うべきものを大衆に成り代わり調達し、大衆のためになる商品を売る小売業が、少ないながら現時点では高い成長を実現しています。大衆のためになる品を売り続けることができる事業者が、これが近未来の小売業であると推察しています。

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