基幹システム流客単価向上秘伝の守破離
「ふざけるでない。そのような問いかけは十年早いわ。」
主人の怒声に太郎と二郎は震え上がった。二人は主の下で修業を始めて相応の年月が経ったので、基幹システム流派の奥義の一つである『客単価向上』の秘法に関して、二人であれこれと知恵を出し合ったものの、全く見当がつかなかったので流派の師範である主に聞こうという事になり聞いたのであったが、普段は温厚な主の怒声であったからである。そもそも客単価とは、1人当買上点数と1品平均単価の積であり、客単価に客数を乗じれば売上になる。売上より利益を上げる諸作法に重きを置く流派ではあるが、売上の理の心得は免許皆伝を得るには欠くべからざる事である。だから修行の効率を高めるための問いかけであったにも拘らず、俗にいう〇〇が縮み上がる程の逆鱗に触れたのが太郎と二郎両人の理解範囲の彼方にあったのである。
基幹システム流客単価向上秘伝-守の巻
太郎「御師匠様、前回の修練では基幹システム流派の『客数向上』の奥義をご指南下さいました。その折には『客単価向上』を得意とするのは、顧客管理システム流派であると仰いました。」
太郎は焦れていたのである。未だ道半ばなれど早く免許皆伝を得て古巣に錦を飾りたいのである。然るに主は常日頃の態度を豹変させたので、このままだと免許皆伝が遠のくことを懸念したのである。
主人「確かにそのように言った覚えはあるが、他流派が得意とする事を我が流派が不得意であると言ってはいないぞ。」
実は主も同様に焦っているのである。基幹システム流派の売上向上策は客数向上を専らとしているのであり、客単価向上策では、顧客管理システム流派の師範である接客徳伊乃助に常に後れを取っており、基幹システム流派の恥を弟子の両名に知られたくないのである。
二郎「御師匠様、不得意でないのであれば御伝授くださいませんか。」
二郎は太郎の様に単純志向ではないが、免許皆伝に対する思いは同じであり、早急に奥義を窮めたいとの思いも太郎と同じなのである。主も日頃の言動を認めざるを得ない二郎にまで言われたので多少は気まずく思い、禁じ手ではあるが接客徳伊乃助から聞いた話をする事にした。
主人「今から教えてやる故、一言も聞き逃さずに、良く記憶に留めよ。」
主はそこまで言うと、1つ深く息を繋いでから続けた。
主人「そもそも客単価とは、1人当買上点数と1品平均単価の積であるが、修行の浅い者は客単価を上げんとすれば1品平均単価を上げようとするのである。」
二郎「御師匠様、1人当買上点数は他力であり1品平均単価が自力であると承るので、早急に客単価を上げんとすれば、1品平均単価に着目して扱い商品の量目を多くした、値ごろ感を出しつつも売価を上げる方策が良いと思うのが至極当然と承ります。」
二郎は暫く手入れをしていないかぶりを左右に振りつつ南蛮渡来の指南書から得た知識を披露してみた。これを聞いた主の顔色は、怒声の後に落ち着いていたのであるが、またもや紅潮したのである。
主人「軽率に過ぎるぞ、二郎。大方、南蛮人が書いた指南書を鵜呑みにしたのであろうが、南蛮人の食する量と和人のそれとは大きく違っている。和人は若き男であっても山鯨(イノシシ)の肉を50匁(モンメ:約190グラム)ほど食するのが精々であるが、南蛮人は若き婦女子が1斤(キン:約600グラム)を平気で食すると申すぞ。」
主は長崎出島での見聞を語ったのであるが、そもそも長崎に居る若い女性は、欧州の裕福な商人の子女であるので経済的に恵まれており、600グラム程度のステーキを食べることが出来るのである。しかし、当時の欧州庶民は日常的に食する事はできなかったと推測される。察するに、当時の日本の実情から言って主の見聞では的を得ていないと言えども遠からじと言わなければならないであろう。主はさらに続けた。
主人「さらに言えば、我が日ノ本では年寄の割合が増えておるばかりでなく、費えに供する銭は年寄が貯めこんでおる。つまりは、値頃感を出しつつも1品単価を上げんとして量目を上げる試みは、年寄の腹具合に合わず効果薄しという事じゃ。」
二郎はかぶりの振りを更に大きくして、南蛮渡来の指南書に書いてあったメリケンの倉庫型連鎖店である越常(こすとこ)屋を思いながら主に問うた。
二郎「メリケンには通行手形を予め買い求めた者のみを相手にする商人が、大きな包みの商品を安値で商うやに聞いており、この商人が繁盛しているとの事でございます。」
主は、二郎の物言いにも一理あると思い、懐の深い者であれば素直に認めるのであるが、師匠としての面子を重んじる軽輩者なので真っ向から否定した。
主人「越常屋の事は良く存じて居るが、買い求めているメリケン町人の大半は子育て真っ最中の年頃である。その者どもは子育てに物入りが多く、日頃の煮炊きや費えに銭が割けない。また、食べ盛りの子女を持つ者にとっては、多少の大包みも却って好都合となる。故に、渡来の大包みの物を取り揃えて置いても安価で売れると言ったカラクリなのだ。」
太郎「越常屋ができるのであれば、本邦の商人も真似をすれば繁盛できるのではありませんか。」
主の怒声を聞いて大人しくしていた太郎が割って入った。太郎は南蛮の知識に疎く、二郎の受け売りを口にする悪い癖が有ったが、主には見透かされているのである。
主人「太郎よ。お前は常に軽々に思い付きを口にするが、話を腹に落してからの物言いが良いぞ。越常屋の真似をしている商人は我が日ノ本にも居り、名を神戸(かんべ)屋と申して播磨(現 加古川市)に本店を構え本邦の諸国に支店を出しておる。」
神戸屋であれば見知っている太郎は、またもや腹落ちせぬままに脊椎から声を発してしまった。これは、発言と言うより動物の咆哮に近いが、本人は至って真面だと思っているので始末が悪い。
太郎「神戸屋なら良く見知っておりますが、二郎から聞いた越常屋は日ノ下には無い大店(おおだな)で、広さは大身旗本の上屋敷より大きい1万坪であり、200坪程の神戸屋とは比ぶべくもないのですが如何でしょうか。」
兄弟子の軽率な物言いを我慢して聞いていた二郎ではあったが、とうとう口出しせずにはいられなくなった。
二郎「兄(あに)さん、御師匠様は広さを言っているのではなく、扱い品を仰っているのです。つまり、神戸屋の扱い品は商人を相手にした物なので大包みなのですが、その代わりに量の割には大層お値打ち品なので日ノ本の越常屋とも言われているそうです。」
主は二郎の知恵に満足していた。太郎は最初の弟子には違いないが、軽輩であるが故に師範代にはし難く思っていたのであり、自身に大事が有れば二郎を師範代として任ずる思いを改めたのであった。
基幹システム流客単価向上秘伝-破の巻
主人「二郎の言う通りじゃ。教えているのは1品平均単価を上げて事を成そうとする試みの話じゃ。さすれば、値打ち品と言えども大包みでは、銭を持っている者つまり年寄を満足させられないので、神戸屋ほどはうまく行かぬのじゃ。」
ここからの話が接客徳伊乃助の受け売りであるので口にしたくは無かったのだが、観念して続けたのだった。
主人「であるからして、客単価を上げる秘策は1品平均単価の積の一方である1人当買上点数を上げることである。」
二郎は動揺した。確かに理屈では主の言う通りではあるが、言うは易し行うは難しである。大きくもない店を一回りして欲しい物を買い求めている町人に更に物を買わせようとは、だまし討ちでもするしかない様に思えたからである。尤も顧客システム流派のお家芸は、言葉巧みに年寄の弱まった思考に付け込み既に買い求めている商品と同種の物を1・2品余分に買わせる事である。しかし、基幹システム流派では禁じ手としているはずである。その様な初歩中の初歩を師匠ともあろう人が失念するはずがないと思うからである。二郎は意を質して主に迫った。
二郎「御師匠様。1人当買上点数を上げるとは、既に何品か買い求めて店内商品の買物に満足している町人に追加で同種の商品を買わせる事ですか。」
主人「愚か者。その様な事を我が流派の者が口にするでない。我が流派が禁じている事を忘れたわけではあるまい。」
主は語気を荒げて続けたのであった。
主人「これは日ノ本では我が基幹システム流派のみが教えているのであるが、我が流派の始祖がメリケンから学んだ『総合化手法』(これをメリケンでは『ライン・ロビング』と言う)を駆使して、町人が欲する物で未だ扱っていない物を商いに追加すれば、自ずと町人が買ってしなう、即ち商人とすれば売れてしまうと言う我が流派に叶う態になるのじゃ。」
この期に及んで止せば良いのに、太郎が鱈子口をパクつかせて脊髄からの発言をしてしまった。
太郎「御師匠様。八百屋や魚屋が金襴緞子を扱うという事ですか。」
主人「太郎や。お前は暫く沈黙の行に入るが良いぞ。」
主は太郎に対してあわれに思い、この様に言うのが精いっぱいであった。
主人「誰が土が付いたり魚臭い金襴緞子を買うものか。そうではなく既に扱っている商品の同じ様な値(あたい)で且つ同じ頻度の未だ扱いの無い品群を新たに扱う事なのじゃ。」
基幹システム流客単価向上秘伝-離の巻
これを聞いた二郎は目から鱗が落ちる気がした。他の流派は往々にして近視眼的な方策に打って出るが、基幹システム流派の教えは組織的に対応せねばならぬが、長期的な効果が持続する方策を奥義としている事を改めて肝に銘じたのである。しかし、基幹システム流派の得意とする手技との関連が今一つ腹に落ちなかったので主に問うた。
二郎「御師匠様。基幹システム流派が旨とする標準化、単純化、差別化との繋がりについて御教え下さいませんか。」
主人「良い所に気が付いた。知っての通り我が流派では、エレキテル算盤(コンピュータ)を使うて発注や受領を動かしており、『総合化手法』で新たに扱う商品は標準化、単純化、差別化ができているエレキテル算盤カラクリ(アプリケーション・ソフトウェア)で動かすことが軸となるのじゃ。魚屋が金襴緞子を扱うのではなく、魚屋が野菜を新たに扱うことが理にかなっておる。サンマを買い求めた者は八百屋でおろし用の大根を買うのであるが、魚屋が大根を扱っておれば世の奥方は八百屋に足を運ぶ必要がなく、魚屋で用が足りる、つまり一ヵ所で済んでしまうので便利になるのである。これこそが蘭学者の言う経世済民にも叶うのじゃて。」
主は始め躊躇した接客徳伊之助の説を、自分なりに基幹システム流派の奥義に絡めることが出来たので密かに満足していた。我が弟子たちの成長にも効果が有ったと思っているが、主の方が得るところは多かったのであった。いつの世でも、学ぶ者より教える者が理に関する理解は深くなるのである。
2021/03/31