小売業のノウハウ集はスキルの無い者の役に立つの?
いつの世でも新規参入者の多くは、ノウハウ集を読み漁ってスキルが身に付いたと誤解し筋違いの運営を行って退場を余儀なくされるのです。
ここ神保町の古書店『米華街』にも小売業のノウハウを渉猟する者がひっきりなしに来店します。
『米華街』は小売業に関する書籍の多さでは業界内に定評があり、デジタル化されていない効果的な記述の有る知識の宝庫になっているのです。
本当に役立つノウハウはSNSでは探すことができないので、価値あるノウハウを得たい者が『米華街』を訪れるのです。
小売業従事者に必要とされるノウハウは何か
【登場人物】(すべての組織・人物はフィクションです。)
写録 朋無徒(しゃろく ほうむず:通称ホウムズ)=IT知識が豊富な私立探偵
ワトソン=ほうむずを補佐するAI(Artificial Intelligence)
森 哀酊(もり あいてい:通称 森教授)=頭脳明晰だが悪の首領で大学教授。ホウムズの宿敵
前田 工作(まえだ こうさく)=1代で巨大小売業を作り売却して巨万の富を得た起業家
伯土村(はどむら:通称:ミセスハドソン)=写録朋無徒が住む下宿の主人
その日の神保町は小春日和がしばらく続いていて、初冬にも拘わらず過ごし易かった。
森教授は此のところ鳴りを潜めているのか事件らしい事件もなく、私立探偵を生業にしているホウムズにとってはもどかしい日々が続いていたので、小春日和が却って煩わしくもあった。
ミセスハドソンさんがいらっしゃいます。
ワトソンは下宿内に設置されている監視カメラと接続されているので、ホウムズの事務所を来訪する人物を事前に察知する事ができるのです。
ちょっと聞いとくれよ。ホウムズさん
ミセスハドソンさん。何か事件でも起きたのですか。
口を開きゃ『事件事件』だね。こんな小春日和に事件だなんてよしとくれよ。
ホウムズは落胆した顔を隠しもせず聞き返した。
事件でなければ何が起こったのですか。
朝から長い時間かけて本を探していたお客が、お目当ての本が探せなかったらしくて聞きに来たんだよ。それがさ、小売業の成長に役立つノウハウが書かれた本だと言うのさ。それで、渥美俊一氏の著作物が米華街には30冊ほどあったから教えてやったのさ。そうしたら、数冊でノウハウが理解できるのはどれとどれだと聞くのさ。だから言ってやったのさ、このすっとこどっこいが一昨日きやがれって。
相変わらずお客に厳しいね。適当に数冊選んで売りつければよいと思うのですが、ミセスハドソンさんはできないね。ワトソン、話題のお客に対するアイデアはあるかい。
多くのノウハウ本に記述されているのは、業界内で利用されている単語や用語の解説が多いようです。
ミセスハドソンさん、ワトソンが言ったように業界辞典の様な書籍があれば、そのお客の要望を満たせたのではないでしょうか。
渥美俊一氏の著作物に似たようなものが有ったし、別の人が書いた物も有るよ。そのお客はまた来るだろうか。
一昨日は来ないげど、近い内に来ると思いますよ。
そんときゃ、丁寧に教えてやるさ。でも、辞書を読んでも小説が書けないように、業界用語や業界特有の単語を覚えても小売業のノウハウは身に付きゃしないんじゃないかい。
仰る通り、単語だけではノウハウとは言えませんが、そもそもノウハウとは専門的な技術や競争優位に立つための経験や知識なのであり、過去の偉人が集積した知識を書物から学ぶにしても、記述してある内容を正確に理解する必要があります。そのためには、書き手と読み手の言葉の理解が完全に一致している必要があるのです。業界用語の辞典や辞書の類を一通り目通しする事も大事でしょうね。
わたしゃ、まだ読んでいないけど、単語は何万もあるんじゃないのかい。
著者によって前後しますが、凡そ1,000語程度です。
さすがに機械は話が早いね。その程度だったら丸暗記しても大した努力は必要としないね。
小売業従事者に必要としないノウハウは何か
ところで、変なことを聞くようだけど、ノウハウ本に書いてある内容で、必要の無いノウハウなんて言うのは有るのかい。
ノウハウとは言えない内容が書いてあるノウハウ本が世の中には多く存在します。例えば、『工夫』や『努力』を要求する事は、個人的な能力レベルに結果が左右されてしまうので、最早ノウハウとは言えない代物です。
努力はいけない事なのかい。小さいころから親に『努力』の大切さを事ある毎に言われたもんだがね。
努力は道徳的には大切ですが、競争優位に立つための経験や知識がノウハウなので、工夫や努力を要求した時点でノウハウではなくなってしまいます。
3店舗程度以下の家族経営的な小売業であれば、ガンバリズムとか商道徳を身に着ければ一定の成果を上げることができますが、個人の資質に依存することになるので優秀な人材を採用できることが前提になってしまうのです。つまりは、ノウハウとは言えない宗教掛かった教えになってしまうでしょう。
厄介なことだね。でも、確かに誰が実行しても同じ結果が出せる知識や経験がノウハウに違いないね。その点、なんて言ったっけね、髪型が変な教授。
森哀酊教授ですね。
そうそう、その餅熱い(もちあちい)教授とやらが此間の新聞に『賢人の工夫』や『民衆の努力』の大切さを書いた提灯記事(特定の個人や団体が良く見えるように書かれた記事)を載せてたけど、あれは何の企みが有ったんだろうね。
ミセスハドソンさんは面白い間違いをしますね。森教授は僕に何度も火傷を負わされているので『餅が熱い』を聞いたら頭から湯気を出しますよ。
記事は13日前の朝刊に掲載されていました。自らを『賢人』と見なさせ『民衆』を森教授の意に沿う誤った方向に扇動して、世の中を混乱させようとしたのでしょうね。
機械はやっぱり手厳しいね。
そう言いながら、ハドソンはホウムズの部屋から出て行ったのでした。
小売業の経験スキルはノウハウとして生きるか
数日後、『米華街』の前に全く似つかわしくない超高級外車がゆっくりと停車し、運転手は素早く下車して開けました。
独特の観音開きのドアから乗ってきた車には合わないカジュアルな身なりの中年男性が降りてきたのです。
男性は『米華街』の建物を見上げてからホウムズの部屋に行く階段を上がっていきます。
こちらはホウムズさんの探偵事務所ですか。
そうですが、どちら様ですか。
事情があって名前は伏せておきたいのです。
前田さん、前田工作さんですよね。
どうして私の名前をご存じなのですか。
世界に一台しかない超高級外車を見れば推理するのは極簡単です。ついでにご依頼内容も申し上げましょう。あなたは起業して成功した小売企業を売却して巨万の富を得ました。そして、新たな事業を起業して、経験豊富なプロ経営者を雇って経営を任せているが上手くいっていないので、現経営者の実績や経営能力の調査をご依頼に来られたのではないですか。
参りましたな。さすがは名探偵の誉れ高いホウムズさんですね。すべてお見通しだ。
実は、ご依頼内容に対する答えも出ているのです。
ホウムズさんの推理力には舌を巻きます。報酬を弾みますので是非ともお聞かせください。
お雇いの経営者は言うまでもなく素晴らしい経歴と実績を残されています。かなり前になりますが国営放送のドキュメンタリー番組で紹介されたほどです。しかし、彼は天才肌なのでアイデアは素晴らしいのですが、現場の生産性を深く追求せず次から次へと新たなサービスを追加したのです。結果的にマイナス現象が繰り返される事態を叱咤と激励と抽象的願望でごまかし、悪い例外の増加を見逃しているのです。
なるほど、ホウムズさんの仰る通りです。私もモヤモヤ感じていた問題が明確になりました。できれば、彼に変わって貰いたいのですが可能でしょうか。
その答えは私の優秀なパートナー、AIのワトソン君に応えさせます。ワトソン、前田さんの仰ることは可能だろうか。
彼のデータを分析する限り、会話や説明を好まず挨拶すら嫌う性格であり、過去の天才的な発想で成功を収めた自負心を持っているので変わることは不可能と判断せざるを得ません。
前田は肩を落として超高級外車に乗って離れていったのでした。
小売業ノウハウとスキル ~知識と実践~
今出て行ったのは、前田なんとかと言う話題の金持ちじゃないかい。
前田が出て行ったのと入れ違いにハドソンがホウムズの事務所に入ってきたのでした。
その通りです。調査の依頼で訪問されたのですが、既に解決しました。
それで依頼内容は何だったんだい。
それは職業的な秘匿義務があるのでミセスハドソンさんといえども話せませんが、要は小売事業を成功に導くのはノウハウとスキルを併せ持った者が作るシステムを利用すれば、努力や配慮をせずともひとりでに良くなってしまう仕組みになると言う事ですね。
ホウムズの言う通り、知識と実践は表裏一体なものであり凡庸なものでも優秀なものの8割程度はできてしまうシステムを利用する事が小売業には必要なのであろう。
2022/2/24